マヨネーズとブロッコリーで考える合理的な食事

2024-09-24

アイスカレンダーというものがあるらしい。まだ読み込めていない。一目見た感想として、世には思っているより多くのアイスが日々リリースされている。



今日は12時くらいに起きて、すねの体毛を剃った。せっかくバリカンを出すことにしたから髪の毛の刈り上げも短くすることにした。これ自分でやった?段差ができてる。と美容師に言われたのを思い出した。どちらも新聞紙を引くのは過剰な準備だった。お風呂とか洗面台でやってしまってから、ティッシュペーパーで落ちている毛を拾えば十分な気がした。

14時くらいになって何か食べようという気になったが、そこまで腹が減っているわけでもなかったし、外に出て食べるには遅い時間になっていたから、今日はあんまりお昼を食べない日だとすることにした。こうすることで、適当な食事は妥協ではなく合理的な選択なのだという弁明を作ることができる。それでブロッコリーにマヨネーズとオリーブオイルをかけて食べた。ゆで卵にマヨネーズとオリーブオイルと塩をかけて食べた。あとはドーナツを1個食べて、水をたくさん飲んだ。空腹でコーヒーを飲んだみたいに気持ち悪くなった。口にした固形物が少なくて、液体が多かったからだろう。



15時くらいに家を出て眼科に行った。以前調べたのは間違いで、いつも行っている眼科は土曜も日曜も営業していた。僕は受付でコンタクトレンズの処方箋を更新したいと伝え、保険証と会員証を提出した。

クリニックの中はそれなりに混んでいて、僕は外の椅子で待つことにした。渡されたQRコードを読み取ると、順番待ちのアプリケーションにつながった。あと3組だった。メールを受信して一時的に場所を離れることもできたが、その必要はなさそうだった。比較的すぐに呼ばれたが、そのあと次のステップに進むたびに毎回ちょこちょこと待たされ、最終的に全体としてかかった時間は45分くらいになった。もし誰も他にいないなら実際に必要だった時間は10分とか15分とかだった。でもこれは仕方ない。今日は3連休だし、待たされるのは覚悟していたし、本を持っていっていたし、別に問題なかった。でも待っている間の読書は時間が途切れるからあんまり得意ではなかった。光文社古典新訳のカラマーゾフの兄弟1巻を読んでいた。5巻まであり、ようやく1巻の半分まで来た。まだあんまり面白くない。登場人物も三兄弟と父くらいしか把握できていない。ドミートリー、イワン、アレクセイ、フョードル。(栞に何人か主要人物の概要がまとめられている。そこには三兄弟と父のフルネームが載っている。ロシアの人名は3つのパートに分かれており、その真ん中のパートは父の名前に由来したものになる。そんな知識を大学で習ったことがあった。)彼らは確か同じ女性を奪い合うことになっていた。でもその女性が誰なのかはまだよく分かっていない。他にもたくさんの人物が出てきたが、そのほとんどは指示対象とその名前とを頭の中でリンクさせられていない。

処方箋は右が2.75で、左が3.0のものにしてもらった。これで1.2がまあまあ確実に見える。右2.5、左2.75のものと比較検討した。これだと1.2が見えるか見えないかだった。会計は400円だった。400円。面食らうくらい安い金額だった。3割負担だから本当は1200円とかなのだろう。仮にそうだったとしても飲み込めないような違和感のある請求額だった。いちおう専門機関で、医者に目を覗いてもらったうえで、コメントしてもらう手間があった。そのあとに医者なのか看護師なのか肩書のわからないお兄さんに気球のやつをやってもらったり視力検査をしてもらった。1dayのコンタクトレンズも2枚分消費していた。検査室のスタッフは全部で5人くらいいて、髪色や髪型に制限を設けられていない様子だった。自分が働いていた塾を思い出した。普段何にも縛られず、制服として羽織った白衣だけが、プロとしての威厳の確保を任されていた。見繕った服装規定は、こういう印象を顧客に抱かせる。こういう細かいイメージのコントロールは、かなり重要だと主張することもでき、そんなに重要じゃないとすることもできた。細微な点の徹底が顧客の安心感を大きく左右する。生活はその仕事をベストに執行するためだけにあるのではない。

とにかく、こういった一連の検査過程は100円玉4枚に還元されていた。そこでは現金しか使えなかった。小銭入れには100円玉が十分にあったので、1枚ずつそれをトレイに取り出した。そういえば受付の女性にも人件費が生じていた。



その後コンタクトレンズを買いにいった。処方箋はコンタクトレンズの店で預かってもよろしいでしょうかとのことだった。

モールを出ると、目が疲れているような気がした。もしそれが本当なら、出してもらった処方箋や、購入したコンタクトレンズは失敗だったかもしれない。また以前メガネを買いにいったとき、処方箋はあるかと何度も聞かれたことを思い出した。コピーにしてもらうかせめて写真だけでも取っておけばよかったなと後悔した。



それでマクドナルドに行った。月見バーガーがさかんにプロモーションされていた。今は9月で、夏から秋への変遷の時期だった。僕は月見バーガーのセットを注文して、席に移ってそれを食べた。卵を食べている気になった。普通のハンバーガーは肉を食べている気分になる。それに比べて今はどうだろう?肉と卵を食べている感じというより、卵だけしか入っていないみたいな感じだった。分厚い白身の目玉焼きが入っていた。食べたことのありそうな味だった。卵の入ったハンバーガーって他にあったっけ?特に思いつかなかった。紙コップに入ったコーヒーは安っぽかった。僕は通路沿いの窓側に座ってしまった。すぐ窓越しを駅へ向かう人々が歩いていた。ずっとイヤホンを付け、誰のことも認識しないようにしていた。



食べ終わってから少しだけ歩くことにした。どこか公園みたいなところまで歩いて、日記を書こうというのがなんとなく思いついたさしあたりの計画だった。どこかで座って日記を書いて、お腹が空いたらまたどこかの店に入ろうと考えていた。でもなんかそれを忘れて歩き出してしまった。歩き始めると花火の音がした。そういえば今日は花火が上がる日だった。空は暗く、モデルケースみたいに均質な曇天で、低く雲が張っていた。可視領域はドーム状でなく、平坦な部屋の天井みたいだった。雨は降っていなかった。花火の日はだいたい天気に恵まれない。そのせいで少なくない確率で花火大会は延期か中止になる。だから今日は天候に恵まれているとはいえないまでも、雨が降っていないだけまだいいのかもしれないなと思った。だからといって大会がきょう開催できるかどうかは別の問題だった。花火は打ち上がるとき雲の上に行ってしまいそうな感じがした。打ち上げて開くことはできても、それが誰にも見えないならば開催する意味はない。

でも歩いているうちに赤い大きな花火が打ち上がっているのが道路の奥に見えた。道路が真っ直ぐだとすると、会場は左手にあるはずだった。だけど花火は正面に見えたから、道は大きく右にカーブしているんだなということがわかった。空間認識を修正する必要があった。道路は視界が開けていなく、花火の様子は部分的にしか見ることができなかった。それでせっかくだから視界の開けたところまで歩いて行こうという気になった。遠くに住んでいる女の子に写真を送ろうか?距離を隔てている女性には近況を伝える。相手の近況についてあれこれ興味を持ち、質問するようにする。写真を交換する。そういう優しさ───つまり(精神的な信頼感とかではない)明示的な興味の表示やエゴのアピール───は、本当は義務的なものかもしれないと思った。こういう親密な関係性の形成が上手な人は、そういう行動を意識せずとも自然な欲求としてなすことができるのかもしれない。もしくはそういう行動は義務的に必要なものだと分かっていて、それをただこなしているのかもしれない。相手へのマナーとして。もしくは相手を掴むテクニックとして。

でも適当な場所が思いつかなかった。明確な目的地もないまま家のほうに向かって歩いていくと、本格的に道がカーブして花火が左手の見えない方に入ってしまった。ようやくもう少しで前行ったことのある高台に着くだろうというのが19時半くらいだった。高台にはたくさんの人が押し寄せているに違いなかった。ようやく到着しそうというところで道にちょっと迷ってうろうろしていたら、引き返す人がいっぱい向かってきてしまった。多分終わって戻ってきたんだろうなという人たちだった。打ち上がる花火の音も止んでいた。それでああ終わってしまったんだなというのがわかった。それでも多くの人とすれ違いながら歩いていた。公園にはたくさんの大人が座っていた。パパ仲間かママ仲間かなという気がした(でも悪い人とか怖い人が集まって宴会をしているという可能性もなくはなかった)。公園の入り口では若い男が二人で座って煙草を吸っていた。向かいの家の前では中年の女性が一人で机と椅子を出してワインを飲んでいた。3連休の中日の夜、気温は悪くなかった。残暑の蒸し暑さが落ち着き、秋の乾いた涼しさを感じる夜だった。風もあった。立地は別に良くはない。むしろ悪いともいえる。道路のすぐそばの細い歩道の内側で、僕みたいな知らない歩行者にじろじろ見られる位置だった。でも差し引いて考えてみて、そのシチュエーションで飲むワインは悪くないなという気がした。それはこれ以上ない自由を象徴していた。公園の彼らとは同じ団体だろうか。

そこでちょっと休むことにした。足が疲れていて、お腹は別に空いていなかった。水が飲みたかった。