言葉のマナーから脱出するためのストラテジー

2024-06-07

カマンベールチーズの味を説明する|YouTube

先進的な試みだ。

投稿者は鈴木ジェロニモというペンネームで、お笑い芸人や作家として活動している。そして自身のYouTubeチャンネルで「説明する」というシリーズの動画を投稿している。カマンベールチーズのほかにも、彼は日々、パイナップルやスパゲッティやポカリスエットの味を説明している。白米なんかもしている。

カマンベールチーズの味はどのように説明されるのだろう?彼の説明は、次のようなものだ。

  • 長くて遅い味。
  • 絵の具と同じ柔らかさ。
  • 遺跡。
  • 地下室の秘密の味。
  • 保存された時間の味。
  • 昔の絵の味。
  • 味の寒いところが美味い。
  • 実体の周辺の味。
  • 石の水。

このように彼は、さまざまな概念を関連付け、その列挙によって対象物を浮かび上がらせようとする。彼が挙げる概念は有形だけでなく無形のこともあるが、ほとんどの場合食べ物ではない。また直接的な表現はそこまで多くなく、比喩的で象徴的な表現を多用する。

絵の具と同じ柔らかさ。これは比較的直接的な表現だ。(一応これは味を説明するという趣旨で進んでいる動画だから、字義通りの「絵の具と同じ柔らかさ」という説明は、味の説明の一節として的確ではないのではという論点がある。だがここではそういったことは検討しないで置いておく。)保存された時間の味。これはやや比喩的な表現だ。一般に、時間は保存されるものではない。また時間に味はないので(少なくとも僕は時間に味を感じたことはない)、保存された時間があったとして、当然それにも味があるわけではないだろう。石の水。(石の水?)これは高度に比喩的な表現だ。というかもはやナンセンスに入りかけていて、さっぱり意味が分からないような気がする。でも、「石の水」には一連の説明の中の一節として納得してしまうような、不思議な説得力がある。だから単体で提供されたら何言ってんの?と投げ出してしまうようなこのセンテンスに対して、確かにそうかもしれない、という合理性をおぼえる。

こういった「合理的なナンセンス」のようなものを生み出す能力はどこから来るのだろう?僕にも(どうやったら)できるだろうか?ひとつにはこういうことがあると思う。彼は、ある語がもたない属性や振る舞いのうち、平凡過ぎず、突飛すぎないものを持ってくるところに、突出した才能がある。たとえば、ヒトは<受動態>を自身の別の姿として、より一般的にはパラメータとして持っていないし、アイスクリームは<思考する>ふるまいをとりえない。これはオブジェクト指向の考え方だ。ゆえに「ヒトの受動態が~」とか「アイスクリームが思考していたとき~」とか言うと、これはかなり純度の高いナンセンスになる。「時計が叫んでいる」というのはどうだろう?時計は<叫ぶ>というふるまいを基本的にはもたない。が、これはメタファーとして(比較的多くの人に、比較的自然なセンテンスとして)解釈できる。多くの人は大体同じようなイメージを思い浮かべる。だからこれは完全なナンセンスではない。

ある語がある属性をもたなかったり、ある振る舞いをしえないとき、ある語はそういった属性や振る舞いと共起しない。だから新鮮な響きを持つ。でも行き過ぎると、ただのめちゃくちゃな文になる。チョムスキーは、これをColorless green ideas sleep furiouslyと例示した。これはあまり具体的な情景が浮かばないから、あまり詩的にすぐれた表現とはいえないだろう。無秩序な文を作るのは簡単だ。ランダムに数回辞書を引けばいい。ただ、彼はそういうナンセンスなナンセンスを一定数つくり、動画に収めてアップロードしているわけではない。こんなに生き生きとイメージが浮かぶナンセンスを創出することはそうできないことだ。本来共起しない語同士の組み合わせの凄まじさ。それは、センスの檻を巨大な腕で拡張しているようなイメージを感じさせる。あるいは、センスとその外側にあるナンセンスを自由に行き来しているイメージ。ナンセンスの領域は、センスの領域よりずっと広大だろう。そして、その混ざり合った領域が存在している。われわれは理性的に意味の通らない文章を排除してしまいがちだ。それでも、組んだ文章が、結果論としてそういった領域に属することは、そこまで困難なことではないだろう。だが彼はそういった領域に属するセンテンスを意図的に創出し、列挙している。その混ざり合いの強度をコントロールする。彼は語法に縛られない。やすやすとそういう領域までまっすぐに歩いて行って、いくつかの表現を採集して戻ってくる。束としてのバランスを考えながら、文脈に即した表現が一輪ずつピックアップされる。それで今日はこんなものがあったよとか言って、簡単にパッケージングして彼はこちらに束を手渡してくれる。

自分は、あまりに見聞きしてきた語法、社会通念、意味、常識、言葉のマナーに縛られてしまっていて、ある言葉があるときにそれといっしょに使える言葉の選択肢が限られすぎていて、自分にはできない。主体的な語彙組み立て。伸び伸びとした言語運用。これが本Webサイトでの一つの到達目標でもある。