ワンルームの中で象を彫る
2025-03-19
象を作っている男は熟年にさしかかり、なんでもない普通の部屋に住んでいた。普通のマンションの一室にその普通の部屋はあった。新しい部屋だったが、特にこれといった特徴もなかった。彼の肩書は象職人ということになるのだろうか。それとも彫刻師ということになるのだろうか。
僕はその職人の家に高校の友達と二人で見学をしに行き、象を作った。でも正確にはあまりその制作工程に携わることはできず、僕は見ているだけだった。僕がそこに主導的に参加することができなかったのはずっと前から決まっていて動かせないもののようだった。ならば、運命というのは本当にあるんだなと思う。
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我々は見学をしに行っただけで、象の作成は高度に専門的な作業であることは明らかだった。だが、友達が強い興味を持ち色々と話を聞いていると、職人は「作ってみるか」と言って、友達は制作体験をさせてもらえることになった。これは思ってもみなかったことで、こんなこともあるんだなと思う。
友達は象を作ることになった。職人の作っている象を手伝うわけではなく、新規の象を作成することになったようだ。それに、制作の一部分だけを体験するというようなものでもなく、職人が持ちかけているのは、新しい象を最初から最後まで作る、という種類の体験みたいだった。
僕は作る工程をずっと見ていた。友達は「自分全然絵とか書かないんですけど」と前置きをした。職人はそれでも問題ない、と返答した。それで制作は始まった。象るという言葉には象という字が使われている。ならば、制作物が象であるというのは、制作活動の原点的な意味合いを持つものなのかもしれない。
はじめに、丸太を削っていって鼻を作り、木の幹みたいな───実際にそれは切り出した木の幹であるのだが───太くて立派な鼻ができた。カーブも美しくかかっていた。ワンルームに木でできた大きな象の鼻があるのはミスマッチな光景で、僕はそれが面白かった。
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僕はずっと部屋にいたわけではないようだった。つまり、友達の制作活動のすべてを眺めていたわけではなかったようだ。観察できた進捗は断片的だった。とにかく、鼻はもうできていた。鼻ができたころにはかなり友達は制作の心得をつかみ、また職人との意思疎通も取れるようになっていた。おじさんは紙やすりを無言でこちらに寄越してきた。僕は勘が悪く、それが何を意味しているかすぐにはつかめなかったが、友達はそれを拾ってすぐに理解してやすりを拾い、鼻にやすりをかけはじめた。それでそれが終わったら、胴体の制作に取り掛かった。
胴体は柔らかいぬいぐるみみたいなもので作るみたいだった。骨がなく、ぐねぐねと安定していなかった。この部屋で制作される象は、骨組みをまず作ってそこに肉を付けていく、というような作り方によるものではないみたいだった。
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ある程度胴体ができたところで、鼻と接続することになった。顔はいつ作ったのかよく覚えていない。どうやって繋げたかも覚えていない。僕は何をしていたのだろう。部屋から退出していたのだろうか。その繋ぐ工程で、鼻はなぜか柔かくぬいぐるみになっていたような気もする。あるいは木のままだったかもしれない。考えてみれば当たり前にも思える。鼻は木で作ったのだ。胴体は布と綿で作ったのだ。繋げるからといって、木が木でなくなることはありえない。
だから、木と布という、ふたつの異素材を、なんらかの手段で接着したということなのだろう。繋げて作った象は不格好で、安定もしていなく、胴体も足も細かった。鼻だけは立派で大きかったが、それはなんだかカンガルーか豹みたいに見えた。胴体にはたくさんの色の布が使われていた。
それは可愛らしかったし、鼻だけが完了した制作途中の象がまとう違和感のようなものと、不完全性には一種のアーティスティックな感興をおぼえたので(特にそれがもつ不完全性は、不完全なすべてのものが持つようなただの不完全性ではなく、計算されたようなちゃんとした、到達的な不完全性だった、それは素敵だった)、僕はスマホを取り出して写真を撮った。僕は普段写真を撮らない。それは残して見返したいと迷わずに思うことができるなにかだった。
写真ではそのオブジェクトが持つ迫力や柔らかさはとらえられず、魅力も半減してしまっていた。とはいえ、僕はそれでもなんとかそのよさを転写できるような画角を模索した。それは思うようにうまくいかず(画角でどうにかカバーできるような、技術的な問題ではなかった)、僕は横向きの写真を何枚か撮って終わりにした。最後のほうで友達が写りこんできて、そこにあるオブジェクトと友達が一緒に写った写真を撮った。僕はスマホをポケットにしまった。友達は「いや、送ってよ」と言った。僕は「あとでね」と言った。
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そのあとは胴体に肉付けをして太くしていくのがもちろん自然なことに見えた。象は鼻だけが完成しており、胴体は未完成だった。今何曜日だっけ? と友達は言った。そういえば全然、時間の感覚がここに来てからなかった。そこではっとして考えてみたら、経過した時間は2泊3日ぐらいだったような気もするが、1週間ぐらい経っていてもおかしくないように思えた。僕はたびたび部屋を出たり家に帰ったりしていたのだが、総体としてはまとまった時間がここで過ぎていた。急に時間が回収されたみたいだった。学校はいつだっけ? もし学校が明日あるとして、ここで制作をやめることは合理性がなく、選択肢としてありえなかった。ここで制作をやめることはもちろん不自然で、学校に行くことより制作を優先すべきなのは明らかだった。ただ、今が何曜日なのかは知っておかないといけなかった。これからどれくらい学校をスキップするのか、あるいはどれくらい既に学校をスキップしてしまっているのかを知っておかないといけなかった。