旅行先の遊廓、その駅との距離
2025-03-15
大学生の時に何人かの友達と旅行をしに行ったことがあった。僕がその何人かとのつながりの(緩慢な)切断を決めたときの旅行だ。
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1日目の夜だったか2日目の夜だったかよく覚えていないが、友達が遊廓を見学しに行こうと言い出した。見学という言葉が何を意味しているのかはよくわからなかった。僕は「遊廓」という響きに現実味を持つことができず、なにかしら異国の言葉のように感じられた。それでもそういった場所は実際、そのホテルから行くことができる範囲に存在しているらしく、ひとまず僕は友達の話を聞いた。
その遊廓に実際に行ったことのある友達は確かいなかった。僕は、友達の先輩───僕の知らない特定の誰か───の話を伝聞した。結果として、第一印象から変わらず、そこに向かうことは気乗りしなかったが、僕もついていくことになった。「待っているのでみんなで行ってきていい」というような提案をした覚えがあるが、それは受理されなかった。どういう経緯で僕がその提案を取り下げてついていくことにしたのか、その詳細については覚えていない。
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電車で最寄り駅まで向かい、電車を降りてエスカレーターで地上に出た。最寄り駅は取ってつけたような人間味のない名前をしていた。具体的な何かが存在していないときの予感的な気持ちの悪さだった。食事は済ませていたはずなので、酒は多量ではないが、そこに着くまでにみんな飲んでいたと思う。慣れていない土地で、前提として良い噂も聞かない地域だった。もう夜もある程度遅く、辺りも暗かった。
遊廓は比較的、国内でも有名な場所であるらしいことが分かっていたが、そこに行くためにはしばらく最寄り駅から歩く必要があった。向かう道に電灯は多くなかった。人通りが少なく、それでいて点在するスナックに熱気のひしめく様が感じられる長い商店街だった。電波は存在しており、そこは文明の範囲内に位置する具体的な場所だった。商店街を通り抜けると本当に遊廓の入り口はあった。当たり前みたいだった。ひっそりとした過疎的な道の先に均質な華やかさが浮島みたいに存在しているのは、異様に気味が悪かった。
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区域に入ると、そこには大量の小さい料亭が道に沿って並んでいた。おそろしく均質な構造の建物が永遠みたいに続いていた。複製して作られたみたいな街並みだった。看板も同じ大きさで、同じデザインで、同じ文字のスタイルだった。店の名前だけが全部異なっていた。座敷が道に向いており、その上に若い女の子とその専属の仲居が二人一組で座ってこちらを向いていた。女の子は座敷の中央に笑顔で座って手を振り、例外なくその横に仲居が座って呼び込みをしていた。どの店にいる仲居も、(数パターンのいくつかの)同じモデルの別バリエーションみたいな人間だった。気の弱そうな人や人の良さそうな人はひとりもいないように思えた。荒波を越えてきた老練な仕事人というような印象だった。時々、空の座布団だけが残されていることもあった。不在は明らかに特定のある意味を持っていた。
僕は女を買う現実味がなく、目を合わせないように、というか顔を向けないようにして歩いていた。そうしていても呼び止められたが、目を合わせたうえで通り過ぎていくことはもっと怖かった。店の方を見ていると引き込まれてしまうような気がした。勧誘はごく直接的で、お兄さん、とか、こっち見て、とかそんな感じだった。我々は高校の友達とその妹の名前の料亭が連続して並んでいるのを見つけ、スマホで写真を撮ろうとしたが、近くの仲居に「写真はだめ、だめ」と呼び止められてそれはかなわなかった。区画では写真の撮影が禁止されていた。その点にもここは日本ではないみたいな異常性があった。
僕が女の子のほうを直視できなかったのは、女の子の外見を見て、それを買うかどうか意思決定するという品定めの行為が傲慢───といっていいのか、なにか傲慢というよりもっと倫理的に反したようなこと───に思えたからであるのかもしれない。それは売春行為の主従的構造に対する抵抗感───それが生来気質的なものなのか、そういったものに対する馴染みの薄さからくるものなのかわからないが───なのだと思う。でもこれは後付けかもしれない。そのときはただただ引き込まれてしまうのが怖かった。道の端に寄る事もできなかった。わざわざ足を運んでそういう場所まで近づいておきながら、店に入る気もなく歩き続けるのは冷やかしに他ならなかった。こんなところ来なければよかったなと後悔しながら、連れられるままに道の中央を歩いた。
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そのあと我々は大きな看板の下で足を止めた。そこで、このまま一緒に歩いていても(一緒にいたメンバーの中には欲求を表出させることを比較的いとわない人間もいたが、それでも)仲間内の目をいくらか気にしてしまうから、自分の欲求をセーブしてしまうのではないか、だから店に入りたい人は気兼ねなく好き好むようにそれをできるようにするべきだということで、別行動をとることにした。それで別々に散って再集合することを禁じた。各自店に入るなりもう少し見学するなりして気が済んだらホテルに戻ることにした。
僕はこんなところで一人になりたくもなく、どちらかというと嫌だったが、その取り決めも合理的であるように思えた。異論を唱えたかは覚えていないが、最終的にはそのようにすることになった。
その取り決めにはすぐに駅の方に向かうことの禁止も含まれていた。すぐに入口/出口に向かうことは、店に入らないことが他のメンバーに明らかであり、駅の方に向かわないということに意味を持たせてしまう。潔白(別に店に入ることが何かに反した行為であるわけでもないのだが、便宜上こういう言葉を使う)の明白な証明が可能であることは不都合であり、全員の行動をぼやかすために、区域の中でばらばらになることができるような一定の間は遊廓にとどまっている必要があった。僕はやむを得ずまた一人で前を向いてしばらく早歩きしていたが、時間が経つとすぐに商店街の方に向かった。持っているイヤホンをつけるのもつけないのも恐怖を増幅させた。行きよりも長い道のりで、ここにも永遠的な感覚があった。