好きだった女の子の夢を見た日、酔っ払って朦朧としながら書いた文章(を編集したもの)
2025-01-15
(1)
僕は体育祭の終わり際のアリーナ会場にいた。行ったことのないアリーナ会場だった。アリーナは長円形に広がり、中心に広いスペースがあった。青いプラスチックの椅子だった。夕方、イベントは終わったばかりであたりは暗かった。自分の席は出入り口に近いところにあった。右後ろに少し行ったところが出入り口だった。
僕はちょっとの間席から抜けていて、皆はおおかた帰り始めていた。こういう学校の催事というのは、すぐ帰る人間といつまでもだらだら残っている人間がいる。半分くらいの人間は既に会場を出ていた。丁度席に戻ったとき、席には蓜島が一人でいるのが見えた。彼女は体育祭の間僕と隣の席にいた。
彼女の姿が見えたのとほとんど同時くらいに、石本竣也が部活の何人かかクラスの何人かで飲み会だかご飯かに行くみたいなことに誘ってくれた。それを見て蓜島は、空気を読んだように荷物を持ち、するりと出口に向かって歩き出した。蓜島は僕とこの後特に何か予定を立てていたわけではなかった。僕は特にそのあとのことを考えていなかった。後から考えると何もなかったなら多分蓜島と帰るんじゃないかなということくらいはぼんやりと考えていたような気もする。蓜島もきっとそのくらいのことを考えていたんじゃないかと思う。少なくとも我々の中にこのあとの予定に関する明確な合意はなかった。僕に何か予定がありそうだと読み取れたから、彼女はそれをキャンセルして歩き始めた。
そこで僕はそれがたまらなく有難いものに見え、同時に切ないものに見えてちょっとどうしようもできなくなってしまった。僕は石本竣也の誘いは適当に断ることにした。というか気づくともう彼女を追いかけることを始めていた。筋の通っている理由もつけず、ただ「蓜島のところに行く」と言った。蓜島のところまで走っていく途中に僕は石本に悪いことをしたなと一瞬思った。それも瞬間的な情動で、すぐに移り変わった。でも本当はもう少しぐらい残り続けるべき理性的な考え方だった。
僕は蓜島の顔を覗いて、「一緒に帰ろう」と言って手を握った。蓜島は一瞬うつむいたように見えたが、「帰るか〜」とか言って手を握り返してくれた。僕はそういうあの時の蓜島が好きだった。可愛らしく笑っていた。それは僕がずっと求めていて、そしておそらくは永遠に獲得できない承認だった。あるいは時を経て学校を卒業してから、僕と(短い間)一緒にいてくれたときの蓜島も、そういう彼女のままだったのかもしれない。だとするならば、僕はそういう彼女を引き出すことは全然できなかった。そしてそれから一緒に居続けられなかったことが、改めて悲しく思えた。これまで蓜島は、不思議なくらい夢に出てこなかった。夢に出てくるのはいつも江藤綾香だった。蓜島は僕の永遠の憧れの人で、僕が獲得できなかった人だった。彼女との別れについて僕はいくつかの結論を出した。それを報告書として提出するなら次のようなものになる。
◆関係の切断についての報告書
[概要]
僕が彼女とうまくやっていけなかったことは、取り返すことができない生涯的な失敗だった。僕は代えが利かない人を失ってしまった。
[振り返り]
我々は時を経て再会しており、ゆえに我々にはもちろん過去のイメージとのずれが多少あったり、両者的な問題があったり、場面発生的なマイナス要因があったりはした。とはいえ、概してほとんどすべての問題は自分にあった。僕はもっと成長してから彼女と出会うべきだった。
[救い]
でもだからこそ自分の問題に本当に気づけたのだという側面があった。彼女とその(正しくなかった)時機で再会し、そしてまた離れたことにどのような意味があるだろう?僕は致命的な問題点を抱えており、彼女はそれを(暗示的に)警告してくれた。それは他の女の子にはできず、彼女にしかできなかったことだった。
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僕はそのように彼女のことを結論づけていた。それに対して江藤綾香は、運命づけられた人間ではなかったけれども、長い間関係を持ち、現実的な女の子の象徴として僕の中に位置していた。彼女はずっと僕の理想の女の子ではなかったが、そのことに悪い意味は全然なかった。理想には霧がかかっているが、現実には霧がかかっていない。彼女は霧のかかっていない素敵な女の子で、彼女が去った後も、僕は彼女の必要性を長い間強く感じていた。彼女は何度も夢に出てきていた。あまりに何度も出てくるから、友達にもともと付き合っていた女の子がどういう頻度で夢に出てくるかについて聞こうかと思ったが、キモいと思ってやめた。でも不思議と江藤綾香は最近全く夢に登場していなかった。
蓜島のことを夢に見たことはこれまでなかった。それは不思議なことだった。江藤綾香が現れた翌朝もつらかったが、蓜島が今後現れていくなら、そのつらさは本格的に耐えられないくらいつらいものになってしまうような気がする。彼女の持つ意味合いは、僕にとってあまり簡単に消化できるようなものではない。僕は一緒にいたときより、もうちょっとは大人になっている。ただし彼女は半分くらいの確率で僕とは会いたくないだろう。確率はもっと高いかもしれない。もしくはそれも全部思い違いで、別になんとも思っていないかもしれない。でももう一回会おうと誘うことはできそうになかった。マキも残念ながらなのか当然なのか全然夢には出てきていなかった。申し訳ないが我々の関係にはロマンスが不十分だった。そこには「24歳の僕だから」という言い訳のような検討事項があった。ゆえにこういう(夢にこの子が出てきてこの子が出てこないというような)現象の説明をすべてそれぞれの女の子が含む魅力とか性質とか築いていた関係性に帰することはできない。自分の頭で考えてみても、全くなにも分からなかった。今の自分に───状態をより単純化して言うなら、大人になりゆく一人の青年に───誰かに対するロマンスを(かつて持っていたのと同じような形で、あるいはそうでなくても)持てるのかどうかわからなかった。夢に出てくる女の子というのはどういうメカニズムで決定されるのだろう?
それは重要なことだった。なのに何もわからなかった。好きだった女の子の夢は不意に発生して心を大きく持って行く。僕はそれに対する対抗手段も、それに備えるためのサインを得る手段も何一つ持っていなかった。
(2)
そのような悲しみの念や、後悔の念は、初めて僕に想起したものではないし、また泣きそうにぐらいはなったけれど、実物の涙を結ぶには至らなかった。またそれと同様に、誰かにすがるみたいな具体的なアクションも引き起こさなかった。どうせだったら分かりやすく崩れてしまうとか他者に依存するとかしていたほうが悲劇的でいいのにと思った。せいぜいJR南武線の武蔵小杉駅から武蔵溝ノ口駅まで歩くエネルギーに変換されたにすぎなかった。酔っ払ったときに電話できる具体的な人間が欲しかった。僕はそういう無条件に迷惑をかけられる人間を持ち合わせていなかった。誰かに甘えられたらよかった。僕は誰か友達と偶然出会わせないかとただ歩いていた。もし誰かと出会えたなら、思い切り依存したかった。最初だけ話を聞くポーズを取ってあとは全部自分の話を聞いてほしかった。そういう人をずっと求めていて、それはこのくらい酔っ払ったときに交渉するしかなかった。でもそんなものは理想的なシナリオで、きっと叶わないとわかっていた。僕は無力だった。揺れながらただ無力に歩いていた。