小宇宙の拒絶と救済について
2024-11-27
ドン・キホーテでは乾燥された椎茸がしいたけスナックという商品名で販売されている。僕はそれを一度口にすることがあった。口にして浮かんできたのは爆発的なイメージだった。味の是非とか好悪において特段問題を感じたわけではなかったが、凝集されたエネルギーが放射するような感じがして、なんとなく善悪みたいなものに反しているような気がして面食らってしまった。
ミクロコスモス。
そこにはひとつの宇宙が含まれていて、それを飲み込んでしまうのはとても悪いことみたいに思えた。一口目からもう辟易してしまうような感じだった。食べているうちにだんだんと嫌になってきてもう食べられないなという感覚はこれまで体験したことがあるものだったが、こういうことは初めてだった。自分の中に保持できるエネルギーを超過してしまうんじゃないかと恐ろしい気持ちになった。それに、乾燥して水分を失ったオブジェクトにここまで生命性を感じたこともこれまでに初めてだった。それでもちろん2枚目は手に取らなかったし、なんとなく乾燥した椎茸に近づきづらくもなってしまった。これは僕が忌避しているコスモスの話で、それに応じるように僕が救われたコスモスの話もある。
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昨日は帰ったのが深夜の1時くらいだった。そんなに多くのものを食べたわけではないのにお腹はいっぱいだった。大抵お酒を飲んだあとはたくさんのものを食べたくなるのだが、今日に限ってそんなことはなかった。昼間取りすぎたカフェインが抜けていく離脱症状と、静音に3時間晒されたプレッシャーと、苦いコーヒーの気持ち悪さがまだ残っていた。胃袋の底が洞穴みたいに深く垂れ落ちて、その窪みの中にそういった気持ち悪さが満ちていた。それは寝る直前の4時半まで続いた。
寝ないで昨日の日記を書いていた。特段たくさん書いたつもりもなかったが、カウントしてみると4000字を超えていた。時間としても1時間から1.5時間くらいが経過していた。僕には次のような実感があった:1. 日記をものすごくたくさん書いた日に、だいたい3000字くらいになる。2. 逆に言うと、3000字くらいが一日の日記を書いた時の文字数としてだいたい天井である。そのため、4000字というのはびっくりした。たしかにある程度スクロールできるくらいの幅の文章があった。
僕は寝る時間が遅くなってしまったので床で眠った。8時くらいに最初のアラームが鳴り、それで起きることができた。起きるべき時間は9時半だった。二度寝したら駄目だろうなという日と二度寝しても多分問題ないだろうなという日がある。今回はその問題なさそうな方の日だったので、何度かアラームに起こされながら9時半前まで寝ることにした。枕の上、耳のすぐ傍に携帯電話を置いていた。床で寝ることよりも耳の近くにアラームをキープしておくことのほうが寝坊しないために重要なポイントみたいだった。
Slackを開くとメンションは25件くらい飛んできていた。ミーティングも入れられていた。二日酔いはほとんど残っていなかった。僕はそれを承諾していったりメールやチャットを読んでいって、todoリストを更新した。
朝のミーティングは70分くらい続いた。最初の二人が報告した時点でもう予定の30分は使い切ってしまっていた。それで僕は12時45分くらいに休憩を取り、うどんを食べた。またもお腹はそんなに空いていなかった。日常に使うぶんの集中力が残っていなかった。うどんを食べているとき、ドジャースはワールドシリーズを優勝した。得点ボードを見るにドラマチックな面白い試合みたいだった。僕はそのあと録画してあった適当な番組を見ようと思ったが、10秒くらいでキャンセルした。それでズボンを履き替えて鍵とヘッドホンを持ち、外を歩くことにした。ズボンのポケットからはなくしていた指輪が出てきた。
虚仮の一念海馬に託すはやはり文句なく素晴らしいアルバムだった。沈香学より格段に良かった。僕はプレッシャーとタスクに押し潰されそうになり、自分の中に残っているリソースを使い果たして、発作的に外に出ていた。ゆえに、それは新しくて欠点のないアルバムのときではなかった。デザートドリンクではなく生理食塩水を補給するべき時だった。だから、信頼感で曲を選択する必要があった。そういう時にはお勉強しといてよを流す。
前職ではマフラーを機械編みする職業に就いていた。その日は土砂降りの次の日で、朝まで雨が降っていた。家を出るとき雨は上がっていたが、地面はまだ濡れていた。雨の匂いもまだした。僕は仕事場に向かい、昼前からマフラーを編みはじめた。僕は張力を保ちながらアクリルとウールの混紡糸を供給していった。慣れ親しんだ作業では集中していなくても注意深くあることができる。とはいえ、今回は細かい柄のデザインが含まれていたので、僕は送り出しの速度を遅めてモックを作った。それでも編み目の端が若干波打っていたし、パターンの縁もぼやけていた。それでテンションと密度を調整して、再度モックを作った。それで問題なさそうだったので、機械を本稼働に入れることにした。
我々の店に並べるためのマフラーではなく、別の大きなアパレルストアかファッションスタジオみたいなところで販売するためのマフラーを製造することもあった。それは巨大資本から売り出されることになっている、たくさんの人が関わっていたマフラーだった。プロモーションにもきっとたくさんのお金がかかっていた。デザインや糸の決定は別の会社によってなされた。要するに我々は加工担当だった。
僕はその当時やっと仕事に慣れ始めて、一通り一人でこなせるぐらいになっていたところだったが、人員移動の関係でその案件を一人で回さなくてはいけなくなった。それはとても大きくて長いマフラーだったので機械の最大幅を超えており、分割編みをする必要があった。そういったノウハウは僕たちのどこにもなかったが、なぜだか仕事は決まってしまっていた。小さい会社では仕事を選んでいるような余裕はない。だが、糸が手元に届いて、実際に送り出すことができるようになったのは予定より2週間後だった。販売の開始は当然、我々の要請ではずらすことができなかった。
そのような経緯でしばらくの間、僕は夜ご飯も食べ終わってもまだ働かなくてはいけないような日々を過ごす必要があった。2回目の休憩を取ったあと、21時とかそれぐらいから机に向かうのはきつかった。連続稼働で機械が過熱し、25時とかまでその障害の対応をしていたときもあった。深夜手当の時間になっても目処が立たず、頭も働かなくなったときに支えてくれた音楽がお勉強しといてよだった。イントロのスネアドラムは音の細かい粒が弾けるようなイメージを想起させた。それは音楽的に表現された炭酸のようで、シュワッとした可能性の含意があった。我々が───小さな毛織会社や、自力で絡まった糸を除去できない繊維機械や、スマートフォンから流れるポップミュージックが───属している宇宙は、どこか別のanother宇宙みたいなところで、もの同士がぶつかった衝突のインパクトとして展開された静電気かバブルか火花みたいなものなんじゃないかと誰かが言っていたことがあった。それはSFだっただろうか?そういう生まれては消えていく小宇宙的なイメージがこの曲にはあった。現実は暗くよどんでいて、可能性が見えなくとも、曲の中には小さな明かりが灯っていた。それは残存しない刹那的な立体像だったが、不思議と希望が感じられた。以上が僕が救われたコスモスについての話だ。