人工知能と1日何回もチャットをしている
2024-10-14
誰ともチャットをしていない。人工知能と1日何回もチャットをしている。
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人工知能はためらいもなく本質について語っていた。僕がウインドウ関数のウインドウという概念の本質は何でしょうか?ただ区切るだけならグループとかパーティションと同じな気がするのですが、と聞いたからだ。僕は人間で、物事の本質の話を持ち出すことは僕にだってある。僕が10回本質を語ったとき、2回や3回ぐらいは表層であったり的外れであったりするだろう。一個人の知識も理解も脆弱なものだから、僕は自己の発言に対してそういう不安を持ちながら本質を扱っている。
ウインドウという概念の本質は次の点にあります。それは本質を理解するためのポイントまで教えてくれた。ウインドウの概念を理解するポイントは、⋯。僕はなんかちょっとした異様性を感じた。僕は、AIは人間と違って言葉を本質的に理解していないとか、ただ尤度の高い言葉をシーケンシャルに出力しているだけだとか、そういう言論を支持しない。それならば人間もそうだからだ。それでも、AIから物事の本質について説明を受けることにはぎょっとした。だが、説明は非常に核心を突いており、納得できるものだった。信頼できる誠実な回答だった。少なくとも僕という個人がこれまで組み上げてきた判断機構から見て、認められるような論理性の破綻はそのやり取りになかった。
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続いて僕はグループとパーティションの概念の違いについて聞くことにした。はじめに、group byとpartition byは使われる場所や組み合わされる関数が違う、また目的が違うというようなことを言われた。前者は集約を目的とし、後者は行を集約せずに保持したまま分析するという点に狙いがある。それを受けて僕は、group byとpartition byはどちらかの名前に統一できないのか?ということが気になった。たまたま別の言葉が設定されてしまっただけで、グルーピングするという本質は同一なのではないか?ウインドウ関数の中で使われるgroup byが今のpartition byの機能をもっていたとしてもSQLは問題なく成立したのではないか?二つの概念が存在することは必然的なものだったのか?
こういう質問に対して人工知能が出した回答は結実した「今」に引っ張られていて、若干噛み合わないところがあった。たとえば、歴史的な背景のことを持ち出してきたりした。僕はこうなった経緯、つまりたまたま実現した一つの過程の詳細を聞いているわけではなかった。僕が聞いていたのはこうなったことは必然的だったのか、つまり実現しなかった多くの過程は不可避的に切り捨てられなくてはいけなかったのかということだった。
それでそういうことを聞いてるんじゃないんだよと思うことが何回かあったが、議論としてはまあ成り立つレベルだった。結論として僕が読み取ったところでは、グループとパーティションが分かれていないSQLは可能みたいだった。二つは明らかに共通的な性質を持つ、類似したコンセプトだった。それらを統合しようというのはない話ではなく、統一と分離のトレードオフの問題に集約することができた。似たものを同じ名前にすることは大雑把に言って、覚えるものが少なく済ませられる、というメリットと混乱を起こりやすくする、というデメリットを持つ。僕はgit checkoutのことを思い出した。あまりに多くの機能を背負いすぎてしまったかわいそうな命令だった。その本質はある状態への変更らしい。高度な抽象化は共通性がわけのわからないような抽象レベルまで引き上げられてしまって、頭のいい人にしか捉えられなくなる。それはきっと自然言語にもいえることだろう。食べるも飲むも同じ単語にしたって問題ないんじゃないか?水もお湯も一緒じゃないですか?こういうのを全部くっつけていったら、すごく暗記の面においてやさしい素敵な言語を作ることができる。単語帳は極めて薄くて、見出し語にも限定的な数の単語しか掲載されていない。曰く日常会話は100個の単語でほとんど全部間に合ってしまうという。え?これだけ勉強すれば話せるようになるんですか?と思ってページを開いてみる。
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Movect: A verb meaning “to move toward or away from a specific point with a clear intention, purpose, or direction, either physically or metaphorically.”
こんな感じだ。
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こんな文脈依存的で曖昧な言語が素敵なはずもなく、我々は あれ?これって本当にやりたかったことなんだっけ? という問いに突き当たる。学習コストを下げたかったはずがむしろ上がってしまっている。それは統一と分類がトレードオフだからだった。明確なソリューションのない、こんな微妙なバランスの中で歩んでいかなくてはいけなかった。