7回忌の思い出

2024-10-23

祖母の骨は上大岡に格納されている。墓は立っていない。そんなに頻繁に墓参りに行っているわけではないが、いつものところだった。指定時刻の50分くらい前に家を出た。三連休の1日目で、道は混雑していた。そのため、結局10分くらい遅れて着くことになってしまった。カーナビの到着予定時刻が少しずつ指定された時刻に迫っていき、やがて超過するのを見ているのはストレスだった。いくらかもっと短縮できるルートはあったかもしれないにせよ、僕は概ねベストを尽くしていた。もともとは10分前につくように家を出ていたし(それは結局間違った見積もりだったが)、他にできることはなかった。にもかかわらず遅刻の責任は運転手に帰せられるみたいに思えた。

僕は一番最後に車を出て待合室に行った。遅れていたが、誰も怒らなかった。スタッフの人も親戚も、誰ひとり腹を立ててすらいなかった(少なくともそのように見えた)。当たり前みたいにお茶を用意して出してくれた。たくさんの人間が来ていた。親戚だけでなく親交の深かった友人みたいな人も来ているみたいだった。7回忌というのは普通、こんなに多くの人間が集まるものなのか?と僕は思った。でもそれは確かめようがなかった。一般に特定の個人は統計学的な量の7回忌を経験しない。多くの人間は広い待合室にいくつかの輪を形成していた。それぞれのテーブルには和菓子の入った木の皿があったが、どれもほとんど手がつけられていなかった。

すぐには法要は始まらなかった。みんな少しずつ場を繋いだり繋がなかったりしていた。僕はこういう空間でうまく立ち回るスキームを持ち合わせていなかった。質問が来て、それに当たり障りのない返答をすることしかできなかった。話は広がらなかった。人生には盛り上がる楽しい場だけがあればいいわけではない、たまにはこういう白けた場も必要なものだ。僕はそのように自分に思い聞かせてしのんでいた。こういう空間で望ましい態度とはどんなものだろうか?それは少し考えたら簡単に分かった。この場合の正解は明らかに、興味を示しながら、「最近はおじいちゃん毎日何してるの?」とか、「叔父さん仕事は最近どんな感じですか?」とか「叔母さんちょっと前に足を痛めたと聞いたんですがその後どうしてるんですか?」とか色々と質問をぶつけることだった。無邪気な可愛げのある孫として、また年下の後輩として。叔父は僕に「仕事をやめて別の会社に入ったと聞いたが、どれくらい遊んでいたのか?」と聞いた。僕は「半年くらいだけど、時々アルバイトもしていたし、全く働いてなかった期間はない」みたいな返答をしてしまった。「半年くらいですね~」とただ言っておけば良かっただけだった。こんなことを言ってもアルバイトはカモフラージュにすぎず(実際にしていたこと自体はきっと疑われないだろうが)、実際は毎日遊んで暮らしていたんだろうなと思われるに決まっていた。実情としてもそれはおおむね正解だった。自己保身のために本来はシンプルだった話を(無意味に)複雑にしてしまった。兄は真っ当に、勤めながら正当な休暇でいろいろな会社に面接に出向き、次の職を決めてから会社を辞めていた。

少しあり、本堂みたいなところに移動した。僕は朝持たされた数珠が喪服のポケットに入っていることを確かめてそこに向かった。



完全に儀礼的な小一時間だった。僕はずっと分布のことを考えていた。リビドーとロマンスとフィリアの3要素からなるEuler図。個々人は1人1つのプロット領域をもっている。そして知人を磁石でできたコマみたいにグラフの上にプロットしていく。リビドーとロマンスの重なりに磁石があるなら、それは文句なくオーソドックスな恋愛感情だった。それに加えて任意の2人のダイアグラムを取ったとき、相互にリビドー∩ロマンスの位置に相手があるなら、それは文句なくオーソドックスな恋愛関係だった。恋は一方向で成り立つが、恋人の関係は一方向では成り立たない。

念仏はずっと唱えられていた。でも個人はある知人に対して、「この人に友愛を認める/認めない」「この人に情欲を認める/認めない」みたいな二分的な感情の抱き方をするだろうか?そんなことはない。リビドーもロマンスもフィリアもバイナリではなく、明らかに(僕の口癖の1つである)程度の問題だった。だからEuler図は適切な表現方法ではないというのが、その儀礼的な1時間のうちの最初の10分が気づかせてくれたことだった。

では結局そういう3要素それぞれの程度を図示しないといけないとして、どういう表現方法がとれるのだろう?と思った。3つの棒を並べるのはどうだろう?それは解釈──示された量を関係性に変換していくこと──のうえで困難に思えた。また個人が持つさまざまな関係性を全体としてつかむためにも優れた方法でなかった。だったら3次元空間上にマッピングしていくのはどうだろう?3次元空間は人間がまともに理解することができる最も高次元な空間として知られている。でも僕にはそれがすごくぼんやりとしたものに見えた。要件は満たしていたとしても、それはなんかすごく霧掛かっていてつかみどころのない解法のように思えた。

それでもまだ念仏は続いていた。お坊さんは木魚を叩いていた。線香の匂いが正面から流れてきた。外では蝉が鳴いていた。どれもありきたりな風景描写で、他に何か思いつくことはなかった。じきに我々はお坊さんから焼香をするよう促された。一人ずつ立ち上がって真ん中に行き、ぞろぞろと一連の動作をこなしていった。みんなよくわからないまま前に倣ってそれらしい動きをしているに過ぎなかった。こういうものは儀礼性を助長するなと思った。もっと宗教的でない原始的な弔いをする施設があるなら流行するかもしれないと思った。本来あるべきなのは故人へ馳せる思いだけで、こういう予め取り決められた作業は一つも必要ないように思えた。それどころかこういうものが存在していることで、人々はその再現に気を取られるようになる。それはゆっくりと相手のことを思う時間を奪っていないだろうか?



それから少しして法要は終わった。



我々は本堂を退出して、靴を履いて外に出た。外には合葬墓のような共通の墓石があった。僕はスタッフの人からそこに供えるための花を受け取った。淡黄色の木でできた桶に入った小さい献花だった。僕は渡された花を置いた。束になった線香がひとまとまりずつ割いて分けられていた。僕はそれを一束受け取り、火をつけて、火を消した。それで線香を墓石の前に置いて手を合わせた。

一通り全員の祈りが済むと、我々は納骨堂に向かった。骨を取り出してみるわけではないのだが、せっかくこういう機会にしかなかなか来ない場所だし、一応納骨堂にも足を運んで置こうということにもなる。骨はロッカールームみたいなところの中のロッカーみたいなところの中に入っている。僕は『コインロッカー・ベイビーズ』を思い出したが、無関係だった。祖父は同じ場所に入りたいと言った。母は「ここは二人部屋だ」と言った。ならば入りたいという希望をここで明示する必要はきっとなく、それは予定されていることなのだろう。事実祖母は少しだけ横長のロッカーに入っていた。壺が2つ入るだろうなというスペースだった。部屋という表現は適切で幸せなメタファーだった。契約のときにこういった事情を見越したやり取りがあったのだろうなと思った。段取りの中に我々は位置していた。