余雪
2025-05-05
猪苗代に行った。率直に言って酷い旅行だった。連休が明けたら、「連休は何をしましたか?」と聞かれることもあるだろう。僕は「猪苗代に行きました」と答えるだろう。するとたぶん「良いですね」と言われる。そうしたら何が良いと思うんですか? と訊きたい。何が良いと思ったんですか、具体的に? でももちろんそんなことはしない。多くの人にとって、旅行とは無条件に良いものであるということになっているのだ。あるいは旅行が酷いものになるはずがないのだ。普通にしていれば。
・
・
・
13時半に猪苗代駅に着いた。第一印象は「かつて栄えていたスキーリゾート地みたいだな」というものだった。閑散としていて空っぽに見えた。駅のバス停のすぐそばには崩壊した家が存在していた。窓と扉はなくなっているか開放されていた。ガラスの抜けた窓からはスキー板が飛び出していた。併設された棟は屋根の重みで崩れて雪崩が起きたみたいに積み重なっていた。屋外に露出した青いプラスチック・ケースには白く固そうなスキー靴が詰め込まれていた。靴には〈SON OF SUN〉というブランド名が見えた。
僕はバス停でしばらくバスを待ち(特に食べられるものも見る場所も近くになかった)、来たバスに乗って美術館を見に行った。僕はMy Hair is Bad「予感」を聴いていた。「オリンピック中止のニュースすら聞こえないくらい恋してた」。ストレートな歌詞が胸を打つとか共感を呼ぶとか評されるタイプの曲だった。僕はこの曲が好きだった。彼らの音楽には手触りがあり、ときに自分には無縁にも思える種類の心の震えを思い起こしてくれる。小雨だった雨は山道を走るにつれて強まっていって普通に土砂降りになっていた。僕は美術館前のバス停から美術館の入口まで走った。傘は持っていなかった。
展示はダリの作品を中心としてなされていた。絵画だけでなく、彫刻も多くあった。人型の彫刻の多くには肉体に抽斗がついていた。全体として、「要するに彼は宇宙象と卵と抽斗と(やわらかい)時計が好きなのね」と僕は思った(美術鑑賞において要するにという姿勢を取ることが適切なのかはわからなかった)。フィリップ・ハルスマンの「官能的な死」という写真が展示されていた。臀部の強い翳りとその丸みのない角ばった形はなんというかすごく死とか悲しみのイメージを僕に感じさせた。本来、尻とはもっとみずみずしく肉欲的で、柔らかく生の質感をたたえ、肥沃とか繁栄を象徴するべきものであるはずだった。僕はその写真の前に立ちながら、自分が持っている視覚的イメージの中で、これに対極するものには何があるだろうと考えてみた。①母②僕が目にした女の子の裸体③何人かのAV女優 が順番に頭に想起した。だが絶対的な生の象徴としての完全な臀部を追憶することはできなかった。途中で自分の勃起したペニスの姿も頭の中に浮かんできたが、なにかしら非現実的で解離したものに感じられ、それも生のシンボルとしては不十分に思えた。
・
・
・
僕はダリの《ダンテ『神曲』》図録という横長の大きい画集を買って美術館を出た。そのころにはもう16時くらいになっていた。雨はまだ強く降っていた。雨宿りをしに戻るか迷ったがしばらく待ったとしても雨が止む見込みはなかった。それに美術館のほうもじきに閉まる。
17時半までバスは来ないことになっていた。傘はなく、利用可能な屋根もなかった。それに寒かった。僕が着ていたのはTシャツと薄手のジャケット、スラックス、それだけだった(いずれの替えもなかった)。僕は春みたいな恰好で冬みたいな場所に来てしまっていた、よく調べなかったからだ。数値的に示すなら、僕は15℃的な格好で-5~5℃的な場所に来てしまっていた。アスファルトの道路の脇には溶けずに残った雪が固く積み重なっていた。それはなんか1年前の雪みたいな印象だった。直近の冬の記憶がなかったからだ。
美術館の前のバス停にいても仕方ないので、僕は山を下りることにした。バスが来る時間が近づいたらその近くのバス停に留まって待機しようという方針だった。腹が減っていた。適当なレストランもコンビニもなかったが、山をすこし登ったところにひとつだけ売店があった。そのため、僕はまずそこに行ってチョコレートとキャラメルを買った(傘は売っていなかった)。それから山を下りることにした。
意味のない雨だった。そこにはどのような意味も含まれていなかった。もし僕がこういう悪天候に対して十分に対策を取ったうえでなにかしらの被害にあっていたならそれは自然が与えた試練なのだろうなとも思えたが、別にそうではなかった。一人の人間が何も調べずに何も準備せずに山に来て、それでただ不幸な目にあっているだけだった。僕は山を下りながらヒッチハイクすることを10回くらい考えたが、既に人の車に乗り込むことは躊躇われるぐらいずぶ濡れになっていた。それに僕には落ち度の自覚があり(準備と下調べの不足していたことだ)、人に頼ることは後ろめたかった。そのため、少なくともまだバスが残っているうちはしないことにした。17時半のバスを逃すと翌日9時まで待つしかなかったので、それをなんらかの理由で逃すとかもしくはそれが来ないみたいなことが起こらない限りは誰の手も借りないことにした。個人主義的なのだ。これくらいはまだ自分の力でなんとかできる。
・
・
・
気温の冷たさと続く長い雨は僕の体温を奪っていった。手には感覚がなくなっていた。僕は偶然にも手袋を持っていたので、当初それをつけていたが、右手は携帯を操作するために外していた。じきに指が曲がったまま動かせなくなってしまったので、手袋をつけるのはあきらめた。曝露した右手は真っ赤になっていた。僕はこのまま風雨の中にいれば生を実感できるんじゃないかと思った。外側にある皮膚が氷のように冷たくなってしまっても、その中にある炉心は───エネルギーが尽きてしまわない限りは───温かく体温を保っている。その自己調整機能こそが生きている状態の持続意志であり、ひいては生命そのものだと思ったからだ。
その内臓や血液の内部的な温かみはゆっくりと吐く息の温かみを通じて間接的に感じられた。それを直接的に感じることはできなかった。それはきっと体の内側に感覚器官が存在していないからだろうなと思った。僕は温かさの残っている内側と残っていない外側を反転させられたらという思いに駆られた。でもそれは短絡的な思考で、そんなことをしたらもっと致命的な事態を引き起こすのかもしれないなとも思った。続いて、チョコレートを食べたらそれが内側で燃焼して温かさを感じることができるんじゃないかと思った。でもそれにより生じた(であろう)熱を感覚することはできなかった。最後に、仮にこのままずっと雨の中にいてその中で気を張るのをやめてしまい、冷たさが内側にまで侵食していったとしたらどこかで僕は停止するんだろうなと思った。
僕は「官能的な死」のことをまた思い出し、ならばエロース的なものとかセクシャル的なものとかリビドー的なものでなくてもいいから僕の中に生を実感できた瞬間はあっただろうか、できれば最近で、と思った。具体的なものはとくに何も浮かんでこなかった。いくつかの競争、プレッシャー、嫉妬、それに火傷。前に感じたのはいつだっただろう?焼け付くような生を、強烈な生きている/生きたいという実感を。僕は思考の鈍ってきていることを自覚していた。前に明確な〈わたしが今在る〉という感覚を感じることができたのはいつだっただろう?僕は生きているように生きることができているのだろうか?それとも気づかないままずっと死んでいるように生きていたのだろうか?
・
・
・
4つ目のバス停は軸が根本からぽっきりと折れていた。そのそばに短い屋根があり、僕はそこに留まることにした。バスが来るまでまだ時間はあったが、5つ目のバス停まではちょっと距離があったからだ。濡れた衣服は冷たい風を受けてさらに僕の体温を奪った。
僕は腹が減っていて寒かったが、傘を買うことも、傘を生み出すことも、替えの洋服を買うことも、替えの洋服を生み出すことも、(温かい)食べ物を買うことも、(温かい)食べものを生み出すことも、どれだってできないのだなと思った。見出し行と見出し列を取った縦横の表にまとめるなら、6つの [できない(Can't)] が綺麗に並んでいた。この状況でデータベースの設計をしてもETLシステムを構築しても何の意味もなかった。ExtractすべきものもLoadすべき場所もどこにも見つからなかった。あるのは舗装された道を持つ山と激しく長い雨だけだった。
結局、1時間くらい歩いてからしばらくバスを待ち、20分くらいバスに乗ったあと、さらに30分ちょっとくらい歩くことで予約を取っていた旅館に到着した。旅館は山の中腹にあった。カラオケルームと卓球台があり、スキーにやってきた団体にはぴったりだろうなみたいな場所だった。大学生のサークル、あるいは慰安旅行。そういうイメージが喚起されるタイプの旅館だった。僕はずぶ濡れで受付に行ってチェックインを申し出たが、特に何も指摘されなかった。ただ靴を入れるロッカーを案内され、宿泊料を支払い、透明のキーホルダーが付いた鍵を渡され、風呂の説明をされただけだった。歩いてここに来た人なんて他に一人もいないんだろうなと思った。旅館はがらっとしていた。僕が予約をしたのは昨日の24時だったが、渡された部屋番号は101だった。
・
・
・
広い部屋だった。頑張れば8人くらい寝られそうな和室だった。掛け軸があり、囲炉裏があり、両開きの木のクローゼットがあり、冷蔵庫があった。押し入れがあり、中にはもう2セットの布団があった。障子を開けるとまだ雨の降り続いている山が少しだけ見下ろせた。暖房は部屋に入る前から付いていた。僕は荷物を下ろすと風呂に向かった。卓球台の横にはベンチがあり、その上にピンポン玉が駄菓子のプラスチックケースに詰め込まれて置かれていた。ラケットも4本が等間隔に並べられていた。カラオケルームは交代で使うルールが定められていたが誰も使っていなかった。直近に使った形跡も読み取れなかった。番号を入力して曲を予約するタイプの機器だった。レガシー的なシステムだ。
脱衣所に入っても人はいなかった。ロッカーはなく、竹の籠があるだけだった。信頼を前提とした脱衣所だった。持ち物が盗まれることを完全に防止するために取ることができる行動は一切ないみたいだった。衣服も、貴重品も、それ以外のすべての所持品に接続されている部屋の鍵も、どれもすべて籠に入れて置いていくしかなかった。僕は脱いだ服と携帯電話と部屋の鍵をその籠に入れて風呂に入った。
特に誰も入ってこなかった。僕は足を伸ばして冷えきった体をゆっくりと温めた。中まで火を通すように。露天風呂は開放されておらず、サウナも特になかった。しばらくして風呂を上がり、髪を乾かしていると一人の男が入ってきた。一応僕しかいないというわけではないみたいだった。
それで部屋に戻ると19時半くらいだった。僕は可能なら何か食べたかったが、食べるものがなかった。夕食を予約したわけではなかったし(そもそもその旅館にレストランはなかったが)、特に何か食べるものを買ってきたわけでもなかったし、旅館の近くに飲食店やスーパーやコンビニエンスストアがあるわけでもなかった。ここまで歩いている途中、薄々こういうことになりそうなことは分かっていた。僕は壊滅的に濡れていたし、来る途中に寄り道せずに行けるような適当な店もなかったし、とにかく一刻も早く旅館に入ってしまいたかった。だからまあ夕食はあきらめることにした。僕は残っていたキャラメルを何粒か食べた。なんというかすごく原義的な旅行だったな、と僕は思った。それで少しだけフィリップ・K・ディック「ヴァリス」(早川書房)を読み、早々に布団を敷いて眠りについた。
・
・
・
起きてみてもやることはなかった。3時くらいに目が覚めて本を読んでいた。7時半くらいに眠くなってまた少し寝ることにした。8時半にまた起きて9時に旅館を出た。ダリを見に行く以外に目的もほかに行くべき場所も特になかった。天気予報を見ると今日は晴れということになっていた。でも受付のトレーに鍵を返却して外に出ると雨は降っていた。昨日よりは弱い雨だった。昨日だって雨は降らないということになっていたはずだったから、2日連続での外れだった。僕は一つの仮説と一つの知見を得た。「山の天気というのは予測されているものに反することが割とよくあるようである」というのと、「天気予報が間違っていたとしても誰かが責任を取ってくれるわけではない」というものだ。
服は部屋の暖房がよく効いていたのできちんと乾いていた。今日はまだ午前中だったので、できれば後を引くような濡れ方は避けたかった。そのため表面の水滴を手で払い落としながら歩いていた。でもだんだんと雨足は強まり、手で払うくらいではどうにかすることは不可能になった。ラジオを聞いていたが、なぜか電波も途切れ途切れになってきていた。おそらく通信データ量の問題だろう。猪苗代駅までは1時間くらいあった。山を下りきってからは田んぼに挟まれた道路を延々と歩いた。眼鏡は内側まで水滴がついて視界が悪くなっていたが、拭っても意味がないから放置した。早いスピードで車が横を通り過ぎ、はねた水が僕にかかった。全体的に災難だった。僕は瞬間、悪意を感じたが、人がひとりで傘を持たず歩いているところに(自分は屋根のある車内にいながら)意図的に水をかけてやろうというのはさすがにいくらなんでも意地が悪すぎる、だから多分彼も悪意的にやったわけではないだろうと思い直した。
・
・
・
猪苗代駅に着く頃には取り返しの付かないような状態にまた舞い戻っていた。ジャケットには雨が染み込み、中に着ていたTシャツも湿っていた。スラックスも全体として濡れていた。特に右半身がひどかった。車ではねた水のせいだ。バケツ一杯くらいの水量があったから、一帯が面として濡れていた。そしてまた冷たく身体に張り付いていた。
帰りのバスは会津若松から出ることになっていたので、僕はそこまで移動する必要があった。バスが出る時間まではまだかなり時間があったが、猪苗代にいてもどうしようもないので、もう移動してしまおうという気持ちになっていた。だが、電車はちょうど行ってしまったところで、次の電車は11時だった。1時間弱そこで待つ必要があった。駅の待合室は弱くだが暖房が効いていて、外よりは格段に暖かった。僕はできるだけ暖房の風が当たる席に荷物を置き、ジャケットを脱いで、リュックの中にあった替えのヒートテックで洋服を拭いていった(タオルは持っていなかった)。もう雨は染み込んでおり、あんまり効果はなかった。一通り落ち着くと自動販売機で紙コップのコーヒーを買って飲んだ。
電車が来る10分前に改札を通過して反対側のホームに移った。勝手が分かっていないから念のため早めにホームに入ったが、それはするべきではなかった。待合室を出た外は思ったより寒く、屋根はあったが、服は全然まだ濡れていた。僕は寒さに耐えながら長い10分を過ごした。
・
・
・
会津若松の改札を出ると天気は回復しつつあった。ものすごく空腹だった。僕は周辺のマップを一通り見てビッグボーイに行くことにした。駅からちょっと距離はあったが、雨はほとんど降っていなかったし、気温も朝よりは過ごしやすいものになっていた。向かう途中に喜多方ラーメンの店が見えた。折角福島に来ているんだから多分こっちに入るのが筋なんだろうなと思ったが、それらを天秤にかけて比較した結果、やはりハンバーグを食べようという結論になった。一回性のバイアスに惑わされずいま本当に欲しいものを選択することができる、これも年を取ったからだ。
イメージキャラクターの少年はいなくなっていた。ミニマルでフラットな牛がモチーフの看板になっていた。僕はそこに入ってテーブル席を希望し、ジャケットを脱いでなるべく立つようにして反対側の席に置いた。それでメニューを一通り見てスープバーとライスバーのついたハンバーグのセットを注文した。そしてコンソメスープとコーンスープを1杯ずつ飲んだ。そのうちに250gのハンバーグと焼き石が運ばれてきた。
温かいハンバーグだった。旅行に来てからはじめてのまともな食事だった。僕はライスをよそい、次々に肉を体の中に入れていった。それらを食べていると、単純に元気が出た。混んでいるわけでもなかったので、僕はそこでゆっくりと食事を取った。思ったより何杯も食べることはできなかったが、腹は満たされて十分に満足した。そのあとまたコーンスープを一杯飲んでから店を出た。
・
・
・
店の横にはリユースショップとゲオがあった。僕はゲオに向かい、その店内にある18禁コーナーに入った。そこには生があると思ったからだ───でもなかった。そこにあったのは人工的なエロだった。どこにも手応えのない人為的に作られた生の幻影だった。向かって右側の棚の上段にレズセックスのレンタルDVDが並んでいた。プレイの内容も俗世的なものに終始しているみたいだった(アダルトビデオとはそういうものだ。心の交流とかシンパシーとか痛みの共有は主題ではない)。これはレズビアンの本質なのか? と僕は思った。これを見てレズビアンは喜ぶのか?あるいは性対象同士が絡んでいるのはより尊いとか、目汚し的な存在が登場せず効率的であると喜ぶヘテロがいるのか?でもちょっと考えてみたらヘテロセクシュアルの本質はセックスであるみたいな主張は成立しそうだった。ならばレズセックスがレズの本質でないというのは偏見だった。僕はこの映像がヘテロ向けに作られたものなのかレズ向けに作られたものなのか、それだけは製作元に聞いてみたいなと考えながら店を出た。外はすっかり晴天になっていた。