As a fragment of a being; pessimistic, insecure, restricted

2025-03-25

チェーン店にばかり行く。地元の中華料理屋とか旅行先で見つけた個人経営の飲食店に入ったとして、それなしでは生きられないぐらい好きになってしまったらどうすればいいのだろう?それらは不確実で、永続性がなく儚い。いつなくなってしまうかわからない。それに代えもきかない。そういうところにはじめから入らなければ、そもそもそういうものがない人生を送ることができる。

特定の個人を好きになり、そして愛するということもこれと似ている。



18歳のときに体育祭の練習があった。ダンスリーダーの女の子がダンスの練習を取り仕切っていた。校庭のハンドボールコートの近くにたくさんの人がいた。もう本番も近くになった暑い日だった。女の子は練習がひと区切りついたところで、今から休憩をとって10分後に再集合してほしい、みたいなことを呼びかけていたことがあった。「どうせきっとみんな遅れてばらばらと集まりだすんじゃないか?」と僕は言った。「うん、だから20分後には始められるでしょ?」と彼女は言った。彼女は聡明だった。

彼女はもしかしたら自分の指示が守られないことについて苛立ちや他人への攻撃衝動といったネガティブな思いをちょっとは感じていたかもしれない。でもそれが表出されることはなかった。彼女は大人で、それにプラクティカルでもあった。

それより前の17歳のとき、僕はその子の隣の席になったことがあった。彼女は他のクラスにいるボーイフレンドのために自分で撮った写真を集めて構成した手作りのアルバムみたいなものを作っていた。①特定の男の子に対する集中的で温かい慈愛 ②プラクティカルな団体統率の能力 はそのときの彼女が含んでいたすぐれた特質だった。その献愛と全体統率の両面において僕は(少なくとも)彼女に劣っていた。その子は僕の何歩も先を歩いていたのだろう。

そこにいかなる含意も暗示もない。彼女は元気にしているだろうか。



不安症はひどくなっている。「悪役(ヴィラン)の心理」(翔泳社)は「自分にはわからない人のことを理解できるようになろう!」と、さも自分がヘルシーでノーマルな精神性を有しているかのように、意気揚々と買ったが自分の内容が含まれていた。本の3章は「不安を感じておびえる――“不安と焦燥”C群の性格スペクトラム」という章タイトルになっていて、回避性・依存性・強迫性という3つの傾向が取り上げられていた。僕はその章に書かれていた記述に、自認しているところの僕の性質との重なりをおぼえた(こういう感覚は、往々にして的外れなものだ)。とはいえ、それらは比較的、他人に迷惑をかけることの多いタイプの性格スペクトラムではなく、加えて、自分はそういったスペクトラムの極地的なポイントに位置しているわけでもなく(いわゆる重度患者というような区分に分類されるほどの強い当てはまり方ではないはずである)、また自分は精神的に(もちろん完全にではないが)成熟しているつもりでもある。自分はそういう性質に振り回されてもいるが、少なくとも自分がそういう傾向にあることを把握しているし、一定それが発現していることを客観視することもできる。ゆえに、自分の中にそういったバイアスが存在するものとして行動することもできる(つもりである)。もう24だし、今年で25にもなる。それに本も読んできたし、勉強も(それなりに)してきた。

その本には(特定恐怖症としての)高所恐怖症についても記載があった。僕は高所恐怖症のことをこれまで、危険予防が敏感であるという───やや過敏なだけの───正常機能として捉えていたが、たしかに実際には起こり得ないことに対する妄想症状的な異常機能だと説明することもできる。ならば、僕が持っている高所恐怖症も、僕が持っている不安症から導出される性質であって、それは演繹みたいだと思う。僕はブレーキが突然効かなくなって前の車に衝突する夢を何回も見ているし、昨日見た夢は下りの坂道でブレーキが効かなくてポールに何度もぶつかって止めようとするという悪夢だった。その出自は明らかに教習所で教わったイメージ映像だった。最悪の事態のことばかり考えがちな人間は(当然、程度の強弱をとりながら)存在していて、そのように傾向している人間に教え込まれた悪いイメージは、繰り返し悪夢とか悪夢的なイメージとして浮かび上がりリフレインする。だからといってそんなものを教えるべきじゃないと言っているわけじゃない。ただ不可避的に浮かんでくるというだけだ。そういった事態の結実はできれば永久に縁のないものであったらいいなと思う。



13時くらいに起床し、冷凍庫にあったフライドポテトを食べた。揚げるだけで完成するというものだったが、揚げたというよりは炒めたという感じだった。15%くらいがフライドポテトらしくなり、85%くらいがじゃが芋の炒めものらしくなっているものができた。でも15%の方も85%の方も別に美味しいので、特に文句はなかった。揚げることはまず、なんとなく怖いことだし(それは友達とやる花火に似ている)、リソースの余剰するところが得意ではない(それは一人暮らしで溜める浴槽に似ている)。それに余った油の捨て方もわからない。

食材は買った瞬間には楽しみの詰まった財産だが、一度使って余ったらそれはもう負債みたいだ。消費期限の縮まっていく物質が家に存在すること、それは常時気に掛けていないといけないようなものではないが、極小の留意事項としてたしかに認知リソースを占有する。起動してバックグラウンドに存在しているマイクロプロセスみたいだ。それがどれだけ小さいものであったとしても、タスクマネージャーに認知され存在していることが問題なのだ。そういうものの最小化された生活を送りたい。



とにかく、僕の家からポテトはなくなった。捨てるべき油も別に残らなかった。



昨日は期末の全社的な慰労会があり、その後、上司との二次会に行った。二次会にもそれなりにたくさんの人がいて、話したことがなく名前もわかっていないメンバーも何人かいた。我々は飲み放題を頼んで、酒を飲みながら喋った。僕は上司の隣にずっと座っていた。当然、うまく振る舞うことはできなかったが、壊滅的ではなかった。(完全な壊滅ではないというだけで、崩壊的ではあった。これは、期待値的なパフォーマンスだった。)いつも自分に言い聞かせていることだが、前よりは良くできるようになっている。

加えて次のようにも考える。僕は多くの人と有効に関係を築いたりすることはできないが、逆に、僕にしか(有効に)アクセスできないような人にも出会ってきた。僕よりコミュニケーションに優れている人(それは、本当にいっぱいいる)よりも、なぜだか僕のことを好意的に思ってくれて、僕に踏み込んだり、僕を受け入れたりしてくれた人のことを───あまり数は多くないが───思い返すことができる。そのことを、十分に幸せなことだと思う───あるいは、考えてみればそもそもそれ以外にどうすることもできない。他に取ろうとして取れる選択肢も持っていない。